2/24/2008

北京ダック

学生時代に中国に行った時、生まれて初めて北京ダックというものを食べた。
場所は北京にある北京ダックの老舗「全聚徳」。
貧乏パッカー数人で乗り込み、まずビールで乾杯。
その後は大量の前菜から始まり、北京ダック、スープ、デザートとまさにフルコース。この皮のパリパリ感がたまらんかった。
店自体は古ぼけてて、店員もそっけなくて(どこもそうだったが)何かさえない感じだったけど、さすが(といっても初めて食べたんだけど)という満足度でした。
料金もかなり安かった。確か1人千円しなかったはず。しかも人民元払いでOKだったし。

その後も北京ダックは何回か食べたが特においしかった記憶なく時は過ぎ・・・

2006年の世界一周の帰り。
カシュガルの街角を歩いていたら、なんとあの全聚徳のカシュガル支店を発見した。
高級そうなホテルの中にあって、内部はかなり豪華そう。
しかし、中央アジアのマンネリ飯に苦しめられて来た反動もあって、嫁と二人で、えいやっ!と店に入る。
そして、とりあえず一番安いコースを注文。
78元(約1200円)とある。
まあ・・・安いんじゃないかな。

店員の教育が行き届いているせいか、みな礼儀正しく、料理が運ばれてくるたびに、
「えーと、この料理はあ~」
と料理の説明をしてくれる。

いまいち内容は理解できなかったが、まあサービス自体はいい。
肝心の味の方は、舌が食べ物を欲してたせいもあって、かなりうまかったです。あのころを少し思い出した。

そして会計。
78元は2人分の料金でした。
安!!

ニセモノ全聚徳?
んなわけないよなあ~

全聚徳ホームページ
http://www.zenshutoku.com/

2/23/2008

外国人もバス

日本にくる外国人の個人旅行者。
最近耳にするのは夜行バスでの移動。
「今夜の夜行で京都に行くんだけど、なかなかチケットがとれなくて。日本はホリデーなのか?」
そう、お金を節約する彼らにとって、格安のバスは貴重なのだった。
日本語が話せなくてもJRバスなら駅でチケット買ってターミナルから普通に乗れるし、日本語がわかる(特に韓国、台湾人)なら、ネットで予約するツアーバスにも乗れる。ちなみに京都までは格安便で片道3500円也。

「セイシュン エイティーン チケット(青春18きっぷ)はどこで買えるの?」
というつわものもおります。

なにはともあれ、よい旅を。

2/21/2008

マーボー豆腐

中国は四川省にある陳麻婆豆腐店。
マーボー豆腐を発明(?)した店です。
名前は、陳おばあさんが作ったことに由来しているとか。


こ私が行った80年代。
元祖なんだから、きっと豪華な店にちがいないと思いつつ行ってみると、ただの古ぼけてすすけた小さな店であった。

で、これが半端じゃなくすげえ辛い。
原因は唐辛子ではなく、どっさり入った山椒である。
舌がしびれて味わうどころではない。
他の中国人は平気なのかと周りを見渡すと、
「アイヤー!!」
隣の香港人も奇声を発していた。
広東人には辛すぎると思われる。
ちなみに四川人は平気で食べてた。恐るべし・・・

と、こんなことをマーボー豆腐を作りながら思い出したのだった。
ちなみに今は老舗らしく、きれいな店になっているようです。

2/17/2008

思い出のゲストハウスその⑨


さて前回お話したフンザの宿。ハイダール・イン。
写真が私に茶代を請求したオーナーのハイダール爺です。
かつてはアフガン戦争で兵士として活躍していたという。
見た目は怖いが非常にやさしい爺さんなのである。
結構やさしいところがあって、ご飯も作ってくれるし(有料)、お茶も入れてくれます(有料)。
向かいの宿とは中が悪くて(確か親戚同士だったかな)、いつも喧嘩ばかり。
「やっと電気シャワーがついたぞ!これでホットシャワーが浴びれるぞ。お客増えるわい。」
と、喜んで報告に来た途端、全村が停電。それから5日間はずっと停電、シャワーどころか明かりもろうそくのみの生活に。それはそれでいいんだけど。

こんな爺さんだが、パッカーの間ではすっかり有名になり、日本でTシャツが発売されるほど(本人の了解済)。

まだ元気でやってるのかな。

2/16/2008

旅の教訓

私は海外で、1度だけ病院に行ったことがあります。

場所はパキスタンのフンザ。
昼食に食堂で牛肉カレーを注文。
インドでは食べられなかった牛肉がうれしくて一気に食べまくる。
で、その肉が非常に固く、そして1口サイズよりやや大きめ。
まあ噛み切らんでも大丈夫だろう、
と思い切って飲み込む。でものどを通らず、さりとて出すこともできず、

「うっ、息が・・・・苦しい・・・」

その場でドーンと地面に倒れこむ。
「なんだ、なんだ、どうしたんだ。ジャパニ。」
と周りの客が寄ってくる。

これはえらいこっちゃ。
というわけで、食堂の前で逆立ちさせられて、足首を持って揺すってもらう。
こんな往来の真ん中でええ見世物だが、こっちはそれどころではない。

「だめだ。病院だ!!」

と、すぐ近くのボロ病院へつれてってもらう。

その道すがら泊まっている宿を通る。
宿のおやじは、何事かという顔で見ている。

病院に着いて、口の中にヘラを突っ込まれて、やっと長さ15センチくらいに伸びきった肉の残骸が出てきた。
「わしはヘラ突っ込んだだけや。お金はいらんわ。」
と先生に言われ、そそくさと宿に帰る。

「そうか。大変だったな。まあお茶でも飲みなさい。」
と、事情を聴いた宿のおやじはやさしくお茶を入れてくれた。

その後しばらくは、
「もう大丈夫か?」
とみんなに声をかけられた。
小さな村なので、私はすっかり有名人になった模様。

ちなみにチェックアウトの時、入れてくれたお茶はきっちりと請求された。
なんや、ただじゃなかったんか。

旅先ではちゃんと噛んで食べましょうね。
という教訓でした。

2/13/2008

思い出のゲストハウスその⑧


今回は、ペルーの首都リマにある、いやかつてあったペンション西海(にしうみ)のお話。
ここは夫婦で切り盛りしてきたが、旦那さんが亡くなってだいぶ前に閉めてしまった。

当時は食事(和食)付きで情報ノートや日本の本が充実してて安かったのでパッカーには大人気宿であった。
リマの中心部にあるのだが、非常に治安の悪いエリアにあり、宿の周辺での強盗事件が絶えなかった。
特に宿に初めて行く人が狙われて、日本大使館からも注意が出ていたほど。
とりあえずタクシーで宿の玄関に横付けして、運ちゃんに呼び鈴を押してもらい、ドアが開いたらさっさと中に駆け込むのが鉄則であったとか。

さて、宿は閉めてしまったが、奥さんはまだここで暮らしている。
奥さんの和食は好評だったので、パッカー向けの食堂として続けていくことになった。
普通に営業するのではなく完全予約制。
同じくリマにあるペンション沖縄の情報ノートには西海の連絡先やメニューが載ってて、旅行者が人数を募って予約するシステム。人数が多いほどメニューが増えるし、値段も安くなるのだった。

「もしもし。西海さんですか?今夜6人で予約したいんですが」
「いいわよ。メニューは何がいい?」
「すきやきと刺身とアナゴ丼。」
「あ~刺身はもう市場が閉まってるから無理ね。アナゴもこの時間じゃあないし。他の魚でテンプラならできるけど。カレーもいいわよ。」
「あっじゃあそれで何品かお願いします。」
「わかりました。」

こんな具合。

で、約束の日にみんなでタクシーで乗り付けて、奥さんが作っている間は本や情報ノートを読んで過ごす。
本はみな年季が入ってて、ノートは1990年代を最後に書き込みは殆どなくなっている。
地球の歩き方の79年版南米編なんてのもあって、びっくりする。

そして食事タイム。
メニューはすきやき、丼、テンプラ、刺身、味噌汁など様々。ご飯(日本米っぽいやつ)は食べ放題。
和食に飢えている旅行者にとっては天国のような瞬間だ。

帰りはタクシーを呼んでもらってみなで帰るのだった。
行きしなにこの辺の様子は見ているので、歩いて帰ろうなんていう人は誰もいない。
ああ~食った食った・・・

2/11/2008

創世記

わが大阪の実家は近鉄沿線にあります。
最近は赤字でボロボロ気味の近鉄ですが、創設当初の本を読むと、トンネル掘ったりとか最新車両を導入したりとかで、今より更に赤字でボロボロだったみたい。
ある時は、切符の印刷代が払えなくて、沿線のお寺に賽銭を借りに行って、それで捻出したとか・・・
今ではまず考えられないことですが、それがまかり通る時代だったのでしょう。
ちなみに今は大阪から名古屋まで通ってますが、当時は東京まで線路を引く計画もあったらしい。
実現していれば面白かったのになあ。

2/02/2008

リンク

最近、相互リンクを増やす為に国内外のゲストハウスを検索してます。
で、思ったこと。
いまやゲストハウスは北から南まで日本中に存在しているということ。
特に東京と沖縄が圧倒的に多くて、あと北海道にはライダー宿、長野にはペンション系のが目立つ。

アザラシやオーロラが見れる、新鮮な魚介類が食べれるなど売りも様々。
ゲストハウスを渡り歩いたら、違った日本が見えて来るに違いないです。